若岡拓也の日本列島大縦走

若岡拓也の日本列島大縦走 #10
2023.09.22 若岡拓也

若岡拓也の日本列島大縦走 #10

PAAGO MAGAZINEでは、日本列島大縦走中の若岡さんの走破記録を週ごとにレポしていきます。週刊の本記事も第10回を迎えました。みなさんもどこかで若岡さんに会ったら、ぜひ写真を撮ってパーゴワークスまで送ってください! どんどん紹介していきたいと思います。

日本列島大縦走の詳細については、こちらをご覧ください!

今週の記録

9/13 61日目 55.1km

この大縦走における難所のひとつに直面した。梓湖の周辺に連続するトンネルだ。歩道はもちろん、路側帯がほとんどない。にもかかわらず、交通量はそれなりにあり、大型トラックも横をかすめるように走っている。大型車が通過すると、風に巻き込まれそうで身の危険を感じることもある。トンネルの内壁から漏れている水が地面を濡らし、苔を生やす。その結果、足を滑らせてバランスを崩す。これは極めて危険だ。トンネルを抜けると、そこはゲリラ豪雨。降り方が激しく、外に出ても気が休まらなかった。

9/14 62日目 41.1km

上高地の穏やかな雰囲気、美しい景色にやられた。小梨平キャンプ場で1週間くらいボーッとしてみたい。ハンモックで昼寝して、人が少ない時間帯にジョグ。気が向いたら槍ヶ岳まで日帰りでピストンすればいい。今度来る時はそうしようと心に固く誓い、槍沢へと向かった。ここまでは晴れていたが、大曲くらいから雨と霧。槍ヶ岳の山頂まで行く気が失せた。何も見えないのにわざわざ行く必要もあるまい。悪天候が続き、風速は10m弱。西鎌尾根では、動いていないと肌寒かった。

9/15 63日目 40.0km

前日に引き続き、天気はいまひとつ。双六山荘から一ノ越山荘へ。その途中、五色ヶ原山荘を出てすぐに木道で1組の男女と出会う。すれ違いざまに声をかけられた。北海道の雄阿寒岳で出会った男性の友人だった。一緒に北海道へ来ていたものの、この2人は別行動で、男性だけが雄阿寒岳に登っていた。山頂で僕と出会ってから、2人にその話をしたところ、興味を持ってくれたらしく、このサイトやSNSなどを見て、顔を覚えていたのだった。そして、木道で出会ったというわけである。不思議な偶然があるものだ。

9/16 64日目 55.4km

窓は真っ白だった。早朝から景色は何もなし。これでは、動画撮影のためにゆるやまさんと合流した意味がない。二度寝して様子見。再び起きても窓の外に変化はなかった。剱岳の山頂を踏まずに下山することに。代わりに立山の頂上にある雄山神社で登拝した。風速15mほどの強風が常時吹いており、なんだか貴重な体験になった。剱御前小舎までダラダラと歩き、ガスが晴れるのを待つが、やはりダメ。おとなしく雷鳥沢にくだった。高度を下げるにつれ、霧が薄くなっていく。次第に周囲の景色が明らかになる。すっかり草紅葉が始まっていた。もう夏は終わっているのだと、しみじみ感じさせられた。

9/17 65日目 26.8km

スポーツのマンゾクの澤田さん宅に泊めてもらい、環水公園にある「世界一美しい」と言われたスタバで朝食。まったくもって優雅である。前日までとのギャップよ。昼までマンゾクで過ごし、30kmだけ南下する。気温は34℃と、やはり真夏の暑さだ。道中では、GPSのログを見て差し入れを持ってきてくれた方、友人と談笑。3連休の中日に会いに来てくれるとは、なんともありがたい。

9/18 66日目 49.1km

早朝から西の空に雷。天気予報にはなかった黒い雲が空を覆っていた。まだ遠いが、山南が白く染まっている様子から、強い雨が降っていることがわかる。ここまで到達するには、若干の猶予が残されていた。急いで雨雲から逃げる。白川郷に向かう山間部の道は登り基調だ。背中には6kgほどの荷物があり、思うように走れない。くたびれかけていたら、石川からのトレイルエンジェルが登場。車で駆けつけてくれた先輩。荷物を車に積んでもらい、身軽になって走る。さらに、ランニングチームのお姉さん4人もサプライズ。車内でご飯を炊き、カレーライスを振る舞ってくれた。

9/19 67日目 56.5km

この日も身軽。サポートのありがたみを噛みしめる。福島でサポートに入ってくれたじゅんこさんが再度登場。信越五岳トレイルランニングレースで100マイル5位入賞したその足で駆けつけれくれた。白山平瀬道登山口までの30km弱をあっさり終えることができた。長いロード区間が終われば、あとは山で遊ぶだけ。白山白産は毎年登りに来ている地元の山だ。勝手知ったるわが家のような安心感。まったくストレスを感じることなく登っていける。下山した先にあるHITOYAMAキャンプ場に立ち寄る。立ち上げにささやかながら関わったキャンプ場だ。スタッフが横断幕を持って出迎えてくれた。

今週のつぶやき

白山に向かって、くわを振るってはならない。

白山麓の尾添地区には、そんな習わしがあった。岩間山荘の女将さんは嫁いできて、初めて知ったという。明文化されているわけでもなく、ある時、地域の先輩から聞かされた。「あんた、そんなことも知らんかったんか」と驚かれたそうで、地域では伝統というよりも、当然のルールとして刷り込まれていたそうだ。

上高地

さまざまな恵みをもたらし、時に脅威となる白山への畏敬の念が自然と生活の中に溶け込んでいった結果なのだろう。

暮らしの中に定着していることに驚嘆するが、往時の生活を聞くと、納得させられる。

今でこそ、真冬でも金沢から1時間ほどで行ける手軽なスキー場がある。しかし、かつては1年のうち半年は雪に閉ざされる豪雪地帯であった。外界から完全に遮断される陸の孤島になるため、子どもたちは冬になると学校に通うため、寄宿生活を送っていたという。

また、「ハクサン」の名を冠する高山植物は、ほかの山名よりも群を抜いて多いのだが、固有種がそれだけ残っているのも、雪が結界となっていたからだろうか。

ちなみに、白山を御神体とする白山比咩神社の祭神は菊理媛命(くくりひめのみこと)。水の神様だ。

山頂部で雨や霧に見舞われることが多いが、それは菊理媛からの歓迎だとか。眺望が楽しめなくとも、もてなされていると思えば、気分は悪くないのかも。