MAGAZINE

2021.02.12

また行きたい!バックパッカー旅6選

バックパッカー・Go Goto a.k.a. GG

CARGO 40で世界一周旅

旅する医大生・GG

現在は日本で医師として医療現場で働いています。当時医大生として勉学に励む傍、「知らない世界が広すぎる。特に海外への身近さが足りていない!」と感じて、思い切って休学して世界一周をしたことから、価値観は大きく変わっていきました。

「自分探しの旅」という言葉は好きではないのですが、世界を旅して日々身を置いていた新たな環境の中で、自分を見つめ直し、いい意味で開き直ることができるようになった気がします。自分のやりたいことに全力を尽くしている人は、一緒にいて楽しく、側から見ても面白いと。

とにかく経験する、行動する。

PAAGOWORKSの由来でもある "Pack and Go!"この言葉を体現すべきだと、心から思いました。今は、新型コロナ感染症が世間を騒がせ、医療現場でも日夜不安と戦っている毎日です。そんなタイミングで、パーゴワークスのMAGAZINEを書く機会をいただきました。少しでも気分転換になれば、少しでも旅の良さが伝わればと想いを込めてお送りさせていただきます!

世界一周後にパーゴワークスの事務所を訪問。

今回は、わたくしGGの学生時代に旅した国の中から、感染症の落ち着いたときに、本当はすぐにでもまた訪れたい国々を紹介していきます!

01 巡礼の道、カミーノ・デ・サンティアゴ(スペイン)

巡礼の道、カミーノ・デ・サンティアゴ(スペイン)「Camino de Santiago」とは、直訳すると「Camino=道」「de=~の」「Santiago=サンティアゴ(=聖ヤコブ)」という意味で、イエスの十二使徒の一人である聖ヤコブが祀られている、サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂へと歩む道のこと。
キリスト教において重要な意味合いを持つこの道は、日本人に馴染みのある「熊野古道」と似た成り立ちで、その始まりは10世紀まで遡ります。1000年以上の歴史のある巡礼路が今でも年間30万人程度が歩くほど、世界中の人々から愛されています。
この道を歩くのはキリスト教を信じる人はもちろんのこと、信仰を目的とせず、自己研鑽や人生の区切りとして歩く人もいます。私もキリスト教に馴染みのない生活を送ってきましたが、サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂を目指すと決めたのは、知人に招かれてヨーロッパに行くことになったことと、ただただ興味があったから。それだけでした。

もともとは東南アジアからインドなどの南アジアを旅した後に帰国しようと思っていたのですが、タイで出会ったイタリア人にシチリア島に招かれたことで予定を大幅に変更しました。出会いが予定を変えることなんか、旅の中では日常茶飯事。

ヨーロッパといえば、綺麗な街並みと美味しい食事、ショッピングのイメージも大きいですが、貧乏学生には物価が高く気が引けてしまいます。ヨーロッパのアクティビティと考えたとき、このCamino de Santiagoの話を耳にしました!

「兎にも角にも、多くのことを経験したい! 世界を広げたい!」僕の旅の目的とCamino de Santiagoはぴったりで、調べれば調べるほど気持ちは昂りました。しかし、元々はアジア周遊の予定しかなかった私の荷物は、CARGO40に詰め込んだ25kg程度の衣類やら日用品だらけでした。荷物は最終目的地まで送ることもできたのですが、どうせ歩くのであれば、旅の全てを背負って歩きたい!そんな気持ちから25kgの荷物と共にCamino de Santiagoがスタートしました。

旅の日常で使っていた服、iPad、靴、それに加えてサブバッグすらも、CARGO 40に全てを詰め込んで歩き出しました。40L推奨のCARGO40に25kgの荷物を詰めてひたすら歩くという無茶な巡礼をしたのです。もちろん1日の終わりには肩・腰は悲鳴をあげていて、1日の終わりには達成感と、精神が研ぎ澄まされている感覚を得られました。

Camino de Santiagoの1日は、日の出前から昼過ぎにかけて歩き、夕方には夕日を見ながら休息する、そんな充実した日を過ごしていました。

海外まで行ってただ歩く、それだけと言えばそれだけのこと。けれど紛れもない贅沢を感じられます。Camino de Santiagoの間に感じる楽しさも、人によって異なっていたような気がします。スペインのワインを水の代わりに嗜みながら歩く人もいれば、音楽を聴きながら歩く人もいました。僕の楽しみは、道中の景色と、その日に出会った人と宿や休憩で話すことでした。歩き終えた時、道中の自分の振る舞いを振り返ることで、再度自分の好みや価値観を再確認することができました。

あの世界一周から数年経った僕には、自転車ツーリング・縦走・キャンプといった国内アクティビティの経験を積み重ねており、それを交えればもっと楽しめる気がしています。今でも、Camino de Santiagoを違う形で挑戦したいと企んでいます。

02 アンデスの高原都市、マチュピチュ(ペル-)

アンデスの高原都市、マチュピチュ(ペル-)マチュピチュとは、南米ペルーのアンデス山脈尾根、標高約2450mに位置するインカ帝国の遺跡で、その成り立ちは15世紀とされています。その名はペルーやボリビアで用いられているケチュア語で「老いた峰(Old Peak)」を意味する「machu pikchu」が語源とされいるとのこと。
15世紀に作られたにもかかわらず、山裾からは存在を確認できないマチュピチュは、1911年にアメリカの探検家ハイラム・ビンガムによって「発見」されるまで知られていませんでした。「空中都市」という言葉がふさわしいその場所は、私の愛してやまないジブリ映画のひとつ「天空の城ラピュタ」のモデルとも噂されており、その地に足を踏み入れた時に、今まで生活してきた世界とは異なる雰囲気を全身で感じました。

「南米旅といえば」というスポットの一つのマチュピチュは、日本で生活していても遺跡の風景写真などを見る機会がありますが、その魅力は遺跡だけにとどまらず、私はマチュピチュへ向かう道中にも魅せられました。

マチュピチュは、ペルーのクスコからアクセスするのが一般的で、まずはマチュピチュ村へ向かいます。マチュピチュ村へ向かう方法は、「電車or バス+徒歩」。電車を使えば快適なマチュピチュ観光になりますが、バス+徒歩のルートは「Stand By me コース」と呼ばれていて、マチュピチュ村へ向かうこと自体が一つの目的となるほど魅力的でした。

標高約2400mのマチュピチュ村への歩いての移動は、高山病の心配もありましたが、歩みを進めるとともに、マチュピチュに近付いているという高揚感とともに疲労感も襲ってくるのですが、心地よいものでした。マチュピチュに向かうベースとなるマチュピチュ村にもホテルや食堂があり、地元の方や旅人で賑わっていました。

マチュピチュ村からマチュピチュまではバスで向かい、クスコからの長い旅路を経て、ついに遺跡の全貌と対面することができます。

ここで、マチュピチュに行くのであれば逃さないでいただきたいのが、マチュピチュの背景となるワイナピチュへの登山。日本語で“若い峰”という意味のワイナピチュは、遺跡から1時間程度で登ることができます。1時間かけて山頂まで至るも、辺りは霧で囲まれて視界が悪かったのですが、小1時間でマチュピチュは雲間から顔を出してくれました。その景色は、The 天空の城。

雲間から覗く程度の短時間でしたが、この景色を見ずしてマチュピチュに来たとは言えない。そう思えるほど見事な景色でした。

帰りは優雅に電車で町まで降りていきました。体力的には余裕もあり、帰りも歩きで良かったのですが、一度で全てを知りたかった私は、帰りは別の経路を選びました。「街からマチュピチュへ行き、街に帰るまでがマチュピチュ」。写真では知ることのできない、経験したものだけが独占できる楽しみ方がそこにはありました。

03 旅人ならいつかは行きたい、ウユニ塩湖&ワイナポトシ(ボリビア)

南米で唯一海を持たない内陸国であるボリビア。今や天空の鏡とも表される「ウユニ塩湖」の存在で、旅人でなくとも知っている国のひとつとなっています。事実上の首都とされているラパス中心街の標高は約3600mであり、日本最高峰の山である富士山3776mに迫る高さです。
すり鉢状の街並みを持つラパスでは周りに標高4000mを超える地域もあり、首都で生活しているだけでも、富士山の山頂より高い世界に身を置いていることとなります。高山病と隣り合わせの旅生活を送っている私の元には、気軽に6000m級の山へ登れるとの情報が入っていました。
「ワイナポトシ」の標高は6088m。「世界で最も挑戦しやすい6000m峰」と呼ばれているこの山は、なんと2泊3日で挑戦可能だという。ウユニ塩湖で優雅な景色を楽しむ予定だったのに、挑戦しやすいとか言われたら挑戦せざるを得ない、経験第一主義の精神が自分の中に根付いていました。むしろこの情報を知ってからは、6000m峰挑戦がボリビア旅のメインに変わっていたのかもしれません。

南米3カ国目として訪れたボリビアでは、人生初挑戦の6000m峰への登山が待っていました。そもそも日本にいた時にサッカー少年だった私には、豊富な登山経験はなく、3000m峰すらも踏破していませんでした。もちろん、冬山や残雪期登山の経験もありません。しかし、ワイナポトシの登山ツアーであれば、ガイド付きで登ることができるとのことで、経験値よりも体力があるか、高地順応がうまくいっているかということが登頂できるかというポイントになるかと考えました。

すでに標高では富士山の山頂を超えているラパスでツアー会社をハシゴし、安心感と価格の折り合いのついたガイドに依頼し、登山当日を迎えました。世界一周中の私の荷物は旅の装備のみで、登山装備に関してはCARGO40と手持ちのウェアを除けば、ほぼレンタルで臨むこととなりました。初日はバスでベースキャンプへ向かい、徐々に標高を上げていきます。

その時点で標高4700m。そして2日目にはラストキャンプへ移動するのですが、この移動は山頂アタックへの全ての荷物を背負って登らなくてはならず、CARGO40に全てをくくりつけてひたすらに歩きました。

ラストキャンプの標高は5200m。その時点ですでに人生初到達標高ではありましたが、まわりの登山者たちと楽しみながら登り、ラストキャンプ滞在も時間を持て余すことなく、コーヒーや南米ではメジャーなコカ茶と共に読書を楽しんでいました。

最終日の山頂アタックでは、天気に恵まれて、満天の星空に背中を押されてのスタート。最後のエイドはバナナとチョコレート、そして高山病予防に効くと言われたコカの葉をくわえながら進みます。

曇一つない天候で、星と月と山を片目に順調に歩みを進めていた私ですが、5500mを越えたあたりから身体に異変を感じ始めました。

5900mからは難所と言われている直登パートに差し掛かり、身体の重さも増していきます。一歩進むために、呼吸をしっかりと整えてから足を踏み出す。こんなにも自分の身体の不自由さを感じ、向き合ったことはなかったかもしれません。「Do you have a energy? If you don't have, it is impossible.」ガイドからはこんな言葉を受けつつも、歩みは止めませんでした。

登山も終盤に差し掛かる時、目と鼻の先に見えている山頂に、こんなにも距離を感じると思っていませんでした。それでも一歩一歩、自分の身体と向き合いながら進み、ついに山頂へ。

私を歓迎するが如く、朝日が顔を出しました。達成感と疲労感と感動の入り混じった不思議な感情が頭と身体を支配していました。

正直、純粋に楽しかった思い出ではなく、苦労やしんどさにまみれた経験ではありますが、帰国後にも国内登山を続けており、この経験は間違いなく僕の価値観に入り込んできています。圧倒的な経験・体験は、体力や時間を言い訳にせず、貪欲に求めていくことを心に決めた出来事でした。その精神は今でも持ち続けています。

04 革命家「チェ・ゲバラ」が築いた国、キューバ

アメリカの南、約150kmに位置するキューバ。1959年に成し遂げられたキューバ革命の日から、社会主義国として歩み続けています。その仕組みゆえに、味わえる風景がそこにはあります。街中を走り抜けるクラシックカー、普段なら必ず目にするコカコーラ等の広告や看板を見ることのない街並み。
そんな風景や生活を目当てに行く人も少なくありませんが、私にとってキューバは少し特別な国でした。フィデル・カストロらと、キューバ革命を成功に導いた、革命家「チェ・ゲバラ」。彼の生き様を知れば知るほどに惹かれていく自分がいました。
彼はアルゼンチンの裕福な家庭の生まれで、医学部に進学しています。そして在学中に友人とバイクで南米縦断し、貧困や病気、政治や不平等に苦しむ人々を目の当たりにしたことが彼の価値観に大きな影響を与えました。旅人として、医師として、何を感じたのだろうか。そして、何を考えてこの国を作ったのだろうか。そんな想いを胸にこの国に足を踏み入れました。

快適さを求めず、体力・足でカバーできる費用は支払わないで汗をかくことが習慣になっていた旅の生活。キューバ入国時にも、空港から首都のハバナまではローカルの人しか使わないような道を歩き、ローカルなバスで中心街へ向かうルートを選びました。その時から、この国を流れる空気に違いを感じていました。

国のどこに行っても、街を走っているのはクラシックカー。キューバのイメージである、葉巻・ラム酒も生活に根付いており、旅人も気軽に楽しむことができました。

キューバ独自の雰囲気や文化はそれだけでも魅力的なのですが、それ以上に僕を惹きつけたのは、キューバ人の人柄と、自然の豊かさを持つ、良い意味での田舎感でした。どの国に訪れても同じですが、首都には人が多いものの、地方まで行けば、より濃いその国持つ雰囲気を感じることができます。

私が持ってるのはピンバッチです。怪しいものではありません。笑

キューバの豊かな自然とキューバ人の朗らかな人柄は、アウェイの地を回り続ける旅人に温かさを感じさせてくれました。そして、そんな環境の中でのアクティビティは、普段に増して心を開いて楽しんでいました。

また、心を開くことができたのには、社会主義国で治安が良かったことも影響しているように感じます。それぞれが生活の水準が保証されている社会だからこそなのか、そもそもの国民性なのかは分かりませんが、人の優しさを感じられる数少ない国の一つでした。治安の良さを感じたからこそ、気ままに大自然を堪能できたのです。

道無き道を一人進み、自然を感じながら、由縁も知らない遺跡を巡るトレッキング。今でも気ままな旅を愛する僕ですが、こういう経験の積み重ねが今の好みを支えているのだと感じます。

社会主義国ゆえにWi-Fiすら自由につかえないキューバでしたが、それでも贅沢な時間でした。最高の時間の過ごし方ができたはずだったキューバで、あるハプニングに巻き込まれて人生そんなにうまくいかないと、世の中の厳しさを知らされたのもいい思い出です。この話はまた機会があるときに。

05 旧ソ連圏の至宝、バルト三国

ロシアの西側、バルト海の東岸に並ぶエストニア・ラトビア・リトアニアをまとめてバルト三国と呼ばれています。中世にハンザ同盟都市が築かれたバルト三国には、その時代の面影を残す美しい街々と、ソ連に併合された後に独立した歴史を感じられる遺産が混在しています。
バルト三国を含めた東欧諸国を周遊したのは学生最後の年でしたが、そこには物価の安いヨーロッパに行きたいという学生ならではの動機もありました。日本ではあまり知名度のない地域に、観光シーズンではない季節を選び、旅に不慣れな弟を連れて。「お金はないけど、時間はある」そんな学生のメリットを振り回すために選んだこの旅は、また一つ自分の価値観を広げるきっかけになりました。

「東欧へ、行こう」。そう弟に声を掛けたところから、学生最後の旅はスタートしました

兄弟でサッカー馬鹿。

元々は一人で周る予定でしたが、サッカー漬けの日々で一度も海外旅をしたことがないという弟に旅をプレゼンテーションする、そんな目的も兼ねた旅となりました。

僕が東欧を訪れたのは2月のオフシーズン。ヨーロッパの一国ではあるものの、日本での知名度はそこまで大きくなく、僕も東欧に対しては漠然としたイメージしか持っていませんでした。渡航時期のせいか、そもそもなのかは分かりませんが、観光客も少なく、人混みが嫌いな僕にとってはぴったりの旅先でした。  

この旅ではBUDDY 33 とSWINGを使用。

激動の歴史から、まだ日が浅く、国同士や宗教間の争いの跡も観光地として栄えている場所も多い東欧です。遺跡や城跡には、昔の人の苦労や想いが染み込み、今の時代を築いていることを気付かされました。

そして、それぞれの文化や人種・宗教の衝突があった東欧は国土の小さな国が多いため、他のヨーロッパの国々に比べて、隣国への移動が簡単です。長期間滞在してその国の生活に身を置くことも、その土地の文化を肌で感じられるためとても有意義ですが、短期間で何カ国か訪れることは新鮮な出会いの連続で、飽き性の僕にもってこいの旅スタイルでした。

また、都市化が進んでいない東欧には、豊かな自然が身近に残っていました。日本でやるには照れ臭いような、雪のチラつく中での男二人トレッキングも、海外であれば堂々と楽しむことができます。

また東欧の中でも北に位置するリトアニアからは、フィンランドがフェリーで数時間の距離にあります。

東欧の物価に慣れた僕らから、北欧の物価は少し刺激的でしたが、文化の違いを感じるには良い寄り道でした。

短期間でいくつかの文化を味わい、違いを知ることは、自分自身の趣味嗜好も再認識する機会になります。そして、ヨーロッパの冬の厳しさも感じてきました。寒い、肌に刺さるような気候、しかし、それすらも旅の良い思い出になってしまう。苦労や困難がある旅の方が、振り返ったときに印象に残っていることが多く、旅というのは楽しいだけの旅でなくとも良いのだと改めて感じました。

06 魅惑のベールに包まれた国、ロシア

バルト三国・東欧周遊と合わせて向かったロシア。学生としての最後の旅先としてこの国を選んだ時、周りからは「社会主義国」「寒い」「人が冷たい」「ウォッカ」といったイメージが聞かれました。
さらに、冬の旅行であり、not観光シーズン。加えて、日本人でも入国にビザが必要。案の定、ロシアに向かう日本人は少なく、行きの飛行機には人がまばらだったのを覚えています。それでも日本ではあまり旅したという話を聞くことのない、馴染みのない国での旅は刺激的でした。いや、馴染みのない国だからこそ、刺激的だったのかもしれません。
今まで30カ国以上を旅し、ヨーロッパも何度か訪れていた私にとっても、文化・歴史・宗教の違いからか、新鮮さと不思議さを感じました。また、高校時代の先輩が現地にいたということも、すごく大きかったのでしょう。
やはりその国を楽しむためには、その土地を知らなくては。

本当は、東欧を周りたいから、ついでに訪れるだけだったはずのロシア。しかし、国にどういうイメージを持つか、旅行をしたいか思えるかというのは、メディアの露出頻度や周りの評判によるということを実感した旅となりました。

左から、先輩、弟、GG.

僕の訪れたロシアは、広い国土のほんの西の一部だけです。それでも東欧の入り口としてのロシアから、再訪したいと思える魅力的な国になっていました。このロシア旅に関して言えば、魅力を知ったというよりは、魅力を教えてもらったといったほうが正しいかもしれません。モスクワ駐在中の高校の先輩を訪れたことで、本当のロシアの楽しみ方を教えてもらいました。

やはりそこに生活拠点を持つ人の情報は強く、観光地や見どころはもちろんのこと、食事や文化についても教えてもらいながら旅することができました。

アイスホッケーの試合を観戦。

「世界中に友達が欲しい」世界一周中にも多くの友人を作り、各地でお世話になってきましたが、学生最後の旅でも人の繋がりの大切さを改めて感じさせられました。

人とのつながりから、未知の経験を経て、さらに自分の視野が広くなる。それが旅の醍醐味の一つです。また、ロシアと一言で言っても、それぞれの地域にそれぞれの歴史があります。日本でも東京と京都で違いがあるように、モスクワとサンクトペテルブルクでは街並みから異なります。

古い建物の多いサンクトペテルブルクと、都市化されたモスクワ。

2都市しか訪れることができなくても、その対比を感じられるのは実際に身を置いてみなければわからなかったことです。他にも、同じキリスト教が起源のはずなのに、イタリアやスペイン・ドイツ等とは建物の雰囲気が違う。未知との遭遇をすると、今までの経験や知識が絡んでさらに高い次元に進むことができる、旅をしていると絶えず進歩できるように感じるのはこれが一つの要素のはずです。

いかがだったでしょうか。

「旅」。

アウェイの地に身を置くことで価値観が広がり、新たな視点を持つことができる。

予期せぬことが起きたときに、柔軟に対応する精神と根性を養うことができる。
自分自身の成長の一助となる「旅」の魅力、皆さんに少しでも伝わったでしょうか。そして、この閉塞的な世の中のほんの少しの気晴らしになれたでしょうか。

「旅」の定義は人それぞれで良いのです、皆さんにも新たな世界へ踏み出すきっかけになってくれれば嬉しいです。

僕も、「旅」の精神と共にまだまだ挑戦し、貪欲に生きていきます。

皆さんもそれぞれの旅を。

Let’s Pack and Go!

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